かながわ福祉ビジョン2040(創立25周年記念事業)
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唆しています。 もう少し踏みこんでいうならば、社会保障がこのような価値観を前提としている以上、「権利擁護」というきわめて大切な考えかたも、「擁護してあげる側」と「擁護してもらう側」のように「上下の関係」を生み出してしまうかもしれない、ということです。 ちなみに、生活保護を英語に置きかえますと、“public assistance”です。“assistance”の語源はラテン語の“assistere”で、この言葉には、“stand by”、“take a stand near”という意味が含まれています。私たちが「助けてあげる」「守ってあげる」という上下の関係を言葉に含ませたのとはちがって、「そばにいる」という水平的なニュアンスがここではこめられています。守る、助ける、ではなく、「そばでアシスト」するというイメージです。 近年、共生社会、伴走型支援、寄り添い型相談支援など、国の施策でも、よりフラットな関係が強調されつつあります。また、重層型支援体制整備事業のように、行政が縦割りの対応をやめ、居場所づくりや交流をつうじて当事者やその家族と社会のつながりを強めようとする方向性もまた、水平的な関係の大切さを強調するものとなっています。 これらの動きはとても好ましいものです。しかし、以上の用語のなかに示されるような、私たちの価値の根底にある「上と下の福祉観」を放ったらかしにしておく限り、こうした国のビジョンも絵に描いた餅となってしまうのではないでしょうか。 医療従事者や介護従事者の多くの人たちが専門資格を持っています。学術的には少し不正確ですが、現場の用語として、彼女ら/彼らを「ケアワーカー」と呼んでおきましょう。 介護労働安定センターの調査を見ますと、介護職員の約5割、サービス提供責任者の8割弱が介護福祉士の資格を有しているといわれ、その他の資格もふくめれば、かなりの割合が有資格者ということになります。 ケアワーカーが高い専門性を持つことは素晴らしいことです。ですが、そうした高い専門性を有した人たちだからこそ、利用者や患者と一対一の関係に立ったとき、どうしても、上下関係、あえていえば、支配=非支配の関係を生みだしがちです。専門職は、利用者、患者側から見れば、生殺与奪の権を持った強者であり、その指導や助言に対して反論することは決して容易なことではありません。 みなさんも想像してください。デイサービス事業所で過ごす 7 時間、ずっと座っていることにみなさんは耐えられるでしょうか。きっと無理ですよね。 ところが、苦痛をこらえきれず、3 時間たってあきてしまえばケアワーカーに「帰宅願望」と記録され、5 時間たって我慢できずに歩き出すと「徘徊」とみなされる現実があります。あるいは、安全のためだ、福祉だからだという名目で、ある環境を我慢できないと、鍵をしめて部屋の中に閉じこめる現実があります(加藤忠相「RE:care19――プラットフォーム化する地域密着型介護へ」井手英策編『壁を壊すケア』)。 私たちは、「提供する側」と「提供される側」のあいだに生じがちな上下の関係にもっと敏感であるべきです。ですから、私たちは、「ケア」の言葉の本来の意味である「気にかける」の精神を尊重し、「そばにいる」「アシストする」ことの大切さを強調します。 33))消消極極性性のの壁壁::健健康康・・自自律律・・参参加加をを保保障障すするる 敗戦後の貧しさから立ちあがった日本は、当時の人たちには想像すらできなかったような豊かな社会を実現しましたが、これと同時に進んだのが、価値観の多様化です。 社会保障へのアクセス保障、そして、ベーシックサービスをつうじた生存・生活の権利保障は非常に重要な論点です。しかしながら、これらの保障は、たとえば、病気になった、失業した、介護が必要になったというように、すべての人たちに「共通」する「困りごと」への対応に止まっています。 - 37 -

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