かながわ福祉ビジョン2040(創立25周年記念事業)
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- 38 -敗戦後の貧しさから立ちあがった日本は、当時の人たちには想像すらできなかったような豊かな社会を実現しましたが、これと同時に進んだのが、価値観の多様化です。 社会保障へのアクセス保障、そして、ベーシックサービスをつうじた生存・生活の権利保障は非常に重要な論点です。しかしながら、これらの保障は、たとえば、病気になった、失業した、介護が必要になったというように、すべての人たちに「共通」する「困りごと」への対応に止まっています。 これに対して、価値が多様化した現代社会において、一人ひとりの抱える生きづらさや困りごとは、さまざまな特性、個性を持つものとなりつつあります。 「必要」の理論の専門家であるイアン・ゴフは、人間の基礎的なニーズを「健康」「自律」「参加」の三つに分類しました(I. Gough, “Universal Basic Services: A Theoretical and Moral Framework,” The Political Quarterly, Vol.90, No.3, 2019)。肉体的な健康、政治や社会生活への参加が人間の基本的なニーズであることには異論が少ないでしょうが、自律については少し説明が必要かもしれません。 ゴフは、「自律」を「熟慮して選択する精神的な能力」だといっています。 ある人が「走る」ことを選んだとしましょう。じつは、その人にとって、「走る」ことは、単純な生物の「行動」をこえる、何かを含んでいます。ダイエットのためであれ、電車に乗り遅れないためであれ、その人なりの「目的」がそこにはあります。そして、それを実現するための戦略をあれこれ考えながら、私たちは「走る」という「行動」を選択しています。もし、目的もなく、選択することもできずに走っているとすれば、それは走っているのではなくて、走らされていることになるはずです。 医療であれ、介護であれ、あるいは金銭的には年金もそうですが、これらの社会保障が提供されることで、私たちは健康に生きていくことができるようになります。ですが、一人ひとりの人間が抱えている、多様な生きづらさや困りごとにまでアプローチできなければどうなるでしょうか。 たとえば、介護サービスを提供することで、その人の身体的な機能や生活上の機能は回復するかもしれません。しかし、その人が暮らしのさまざまな場面で自分なりの目的を持ち、その実現のために自分なりの選択ができなければどうでしょう。その結果、他者とのかかわりあいを持てず、地域の一員として生き、暮らし、死んでいくことができなかったとしたら。それは「自律」や「参加」という基本的なニーズ、あえていうならば「人間らしさ」が保障されないということになるのではないでしょうか。 政治哲学者ハンナ・アーレントは、「ローマ人の言葉では、「生きる」ということと「人びとの間にある」ということ、あるいは「死ぬ」ということと「人びとの間にあることを止める」ということは同義語として用いられた」と指摘しました(ハンナ・アーレント『人間の条件』)。 そうです。人びとの間にあること、すなわち「人間」は、物理的に生きるのと同時に、社会的にも生きる存在なのです。だから、私たちは、「物理的存在」としてだけでなく、「社会的存在」としての「人間」という視点から出発しなければならないのです。 このことは、社会保障を単なるサービス提供で終わらせるのではなく、さらにあゆみを進め、地域のなかの人びとの関係の網の目なかに居場所を作りだし、一人ひとりが人間らしく生きていくための条件整備へと足を踏みだしていかなければならないことを示しています。 以上は、高齢者であれ、障がい者であれ、子どもであれ、同じです。経済成長や所得の増大を前提とした、自己責任の社会が行き詰まりを見せているいまこそ、「2040 年」という遠くて近い未来にむかって、私たちは、人間性を保障しあう社会を作るために、地域にある資源をつむぎ直していきたいと考えているのです。 22.. ラライイフフセセキキュュリリテティィへへ

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