- 43 -近年、「共生」「伴走」「寄り添い」といった言葉がしばしば用いられている現状を指摘しました。ですが、少し立ち止まって考えてみましょう。「共に生きること」「ともに走ること」「相手に共感しながらそばにい続けること」を要求される職場、そこで働く人たちは本当に幸せなのでしょうか。 人間の善意は美しいものです。慈愛の精神もそうでしょう。ですが、それを当然の義務と考える社会は、働く人たちにとって生きづらい世の中を作ってしまいます。現実に、こうした義務・要求に忠実に応えようとして、燃え尽き、仕事をあきらめる人たちが多数存在することは、福祉や医療の世界では広く知られる問題です。 私たちは、一対一の関係のなかで、当事者やその家族への無条件の「献身」を求めることは、専門職が当事者を支配しようとするのと同じくらい深刻な問題だと考えています。 ですから、ひとつには、福祉や医療を地域にひらき、専門職自身を、さまざまな関係の網のなかに位置づけ直す「チームアプローチ」が必要になるでしょう。要は、専門職と専門職、専門職と各種機関の連携を強めるための施策です。 それと、もうひとつ重要なのは、福祉や医療の現場で働く人たちの労働の対価を保障すること、つまり、福祉や医療に関わる人たちの権利擁護が、利用者や患者の権利擁護の土台になるという視点です。 福祉や医療に関わる人たちの平均的な所得水準は低いことが知られています。令和元年「賃金構造基本統計調査」を見てみますと、医療や福祉の平均給与月額は 17 ある産業区分のなかで 13位という状況です。さらにこれを「医療業」と「社会保険・社会福祉・介護事業」とに分けてみると、後者の低さは明らかです。厚生労働省の資料を見ますと、特定処遇改善加算によって、平均で 30 万円強ほど年収が増えていますが、それでも全産業の平均給与額には遠くおよばないというのが実情です。 以上の不十分な賃金という問題は、日本の社会保障、ベーシックサービスの問題とも関連しています。日本の社会保障は、総額で見ますと OECD の平均を上回る水準にありますが、現役世代に限定して見ますとトルコ、アメリカに続き、下から 3 番目です。ちなみに、子どもたちの教育費を見ても、日本の公的負担は下から 2 番目という状況です。 つまり、福祉や医療の現場で働く人たちは、低い給与水準に苦しみ、満足な生活保障が得られないなかで、当事者やその家族を「助けてあげる」「守ってあげる」こと、「共に生きる」「ともに走る」「他者に共感しながらたえずそばにいる」ことを要求されているという現実があるのです。 私たちは福祉や医療に関わる人たちの所得水準を引きあげるべきだと考えています。同時に、社会保障へのアクセス保障やベーシックサービスを充実させることで、生活コストを軽減すべきだと考えています。 ですが、そうした制度改正の前に、確認すべきことがあります。 福祉や医療の現場で働く人たちは、命の最期の灯火を守り続ける人たちです。病や死に苦しむ人たちがいます。重度の障がいを抱え、わずかなサインしか送ることのできない人たちがいます。その人たちの思いを現場の人たちが受け取り、理解し、応答してくれるからこそ、私たちは孤立せずに、他者との関わりあいのなかで生きていけるのです。
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