- 49 -隣人どうしが一緒に出かける、食事をする、趣味の時間を楽しむといった「関わりあい」をどのように保障していくのかが大切なテーマとなるでしょう。 33))学学びび合合いいががつつむむぐぐ「「共共ににああるる心心」」 高齢化が進み、100 年生きて当たり前という人も珍しくなくなってきました。認知症になったり、自由に歩けなくなったりするのは、特別な事件ではなく、誰の身にも起こりうる「自然なできごと」なのです。 ところが、まだ、そうした人びとへの差別や偏見の眼差しを色濃く残っています。 差別や偏見はなぜ生まれるのでしょうか。それは、そこに差別や偏見を喜ぶ「悪」があるからではなく、その人の置かれた状況に対する「無知=知らないこと」があるからではないでしょうか。 「徘徊」と差別的に用いられる言葉を見てみましょう。認知症の症状のある高齢者が目的もなく歩き回るのではなく、ほとんどの場合、周りの「専門職」と呼ばれる人たちが、当事者の持っている目的に気づく力、理解する力を持てていないことが原因です。 こうした「無知=知らないこと」が生みだす差別や偏見をなくし、介護であれ、障がい者福祉であれ、児童福祉であれ、誰もがそれらのサービスの利用を当たり前の権利とみなせる社会を作っていくためには、住民が出会い、学ぶ=知るための機会が不可欠です。そして、無知の生みだす「心の壁」を壊し、事実を正しく知ることは、住民の主体的な福祉への参加につながっていくことでしょう。 では、学びの機会を増やすためにできることは何でしょうか。 福祉サービスを利用する人であっても、そうでなくても、それまでの人生を通じて得られた体験やスキル、発想といった、他者にとって価値のある何かを人間は持っています。 であれば、行政は、住民・ケアワーカー・学生などが、年齢や障がいの有無にかかわらず対等な立場で交流できる場を整え、そこで要介護者の持つ強みを伝えていってはどうでしょうか。その際、多世代の住民が自然と集まる場所を作るために、空き家や地縁を再活用すれば一石二鳥です。 あるいは、障がい者・健常者を問わず、そうした場に参加した各人の得意分野やスキルをリストアップして、本人同意のもと、データベース化していくのもよいでしょう。必要なときに、必要な人に頼れるようにするための情報プラットフォームです。 住民の地域福祉活動への関与を高めるために、行政は、住民が楽しみながら地域福祉の世界に触れられる機会を作ってみてはどうでしょう。福祉施設等を会場に使った各種カルチャー教室的活動を展開していけば、それがきっかけとなって、人びとは福祉の世界を知ることができます。 また、空き家活用による地域サロン開設への支援として、民間ファンド支援や企業版ふるさと納税制度などを活用した公的補助も一案ですし、高齢者 PC/スマホ教室の講師を若い世代が務めるなどすれば、多世代の住民が知らないうちに出会える場づくりにつながります。 2-2)でも指摘しましたように、福祉や介護の仕事は、人間の最期の命の灯火を守る、誇り高く、尊いものだと私たちは考えています。こうした現場での「物語」を行政が地域住民に丁寧に伝え
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