かながわ福祉ビジョン2040(創立25周年記念事業)
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- 51 -このような状況を打開していくためには、教育のありかたそのものを議論の俎上にのせる必要があるのではないでしょうか。 生存権が保障され、最低限度の文化的で健康な暮らしが送れれば十分なのではなく、私たちには、幸福を追求する権利もまた憲法で認められています。私たちの問題意識に即していえば、福祉サービスを提供して事足れりとするのではなく、その先の関わりあいの領域、ソーシャルワークの領域も含めて、福祉への理解を深めていく必要があります。 そこで、思い切って、神奈川県独自の共通教育を私たちは提案したいと思います。 社会福祉は高齢者のためだけにあるのではありません。これを「人の基盤教育(社会リテラシー)」として位置づけ、副読本を作成しつつ、神奈川県内の学校でカリキュラム化してみてはどうでしょうか。 あるいは、高校生、大学生が地域福祉活動に参加でき、単位として認定する教育の仕組みづくりを考えるのもよいでしょう。さらにいえば、地域のあらゆるステークホルダーを巻きこむような、ファシリテーション機能と人材を育成するプラットフォーム作りを高校や大学の教育カリキュラムに盛りこむことも考えられます。 若い人たちも、いつかは、自分自身が当事者となります。ですから、認知症ケアにも有効と考えられるタッチケア等の教育、未病を中心とする予防医学の充実化と健康寿命の延伸といった技術的な教育も考えられるでしょう。 あるいは、ヤングケアラーとして多くの困難を抱えている同世代の若者たちとの対話の場をもうけ、そうした社会問題への関心を「自分ごと」として高めていくことも教育の大切な役割です。 もちろん、こうした方向性は、公教育のみが追求すればよい問題ではありません。事業者側でも、人間性の保障、権利擁護をもとにした福祉教育をケアワーカーの共通基盤としていくことが重要です。 現実のソーシャルワーカーを見てみますと、独立型のワーカーは少なく、大半が「雇われソーシャルワーカー」だという実態があります。もちろん、「雇われワーカー」のなかにも、施設から飛びだし、地域で東奔西走している人はいます。ですが、同時に、当事者や家族が置かれた「環境ごと変える」という本来の眼差しが置き去りにされ、サービスを提供するための連絡・調整に終始するというケースのほうがより一般的です。 とはいえ、各事業所でこの問題に対応するのには、限界があります。ですから、福祉をこえて、分野横断的に人材が交流できる機会を事業者が共同で設け、これを革新的なビジネスへと発展させるべく、ファシリテータ的な指導者を養成してみてはどうでしょうか。 公教育をつうじた人材育成は、ややもすると、国や社会の求める人材を強制的に育てていく危険性をはらんでいます。ですから、地域社会を、子どもと大人が相互に学びあう場ととらえ、本来の意味の“care(=気にかける)”を通じた教育から子どもたちが多様性を学んでいくプロセスを大事にすべきです。 つまり、人材育成は、3)で述べたような「学びの場」を地域のあちこちに作り、学力、能力、専門、世代など、似た者どうしが集まりがちな社会のなかで、自分たちとはちがう能力、発想、価値観と出会う機会を作っていくこと、そして自分にとっての正義が必ずしも社会全体の正義とは限らないことを学んでいくこと、これらの努力と足並みをそろえていくことが求められるのです。

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