- 54 -一方では、映像分析技術やセンサーデバイスの全面的導入をつうじて、日々の体温や血圧、脈拍といった「バイタル情報」の記録など、現場の事務的仕事からの解放を進めることができます。しかし、そこで話を終わらせるのではなく、そこで不要となった人材に関して、人事の再配置を積極的に進め、施設のなかだけではなく、地域のなかに活躍の場を見いだせるような「雇われワーカー」の抱える限界を克服していく方向性を事業ビジョンのなかに織りこんでいくべきです。 先に、若い経営者による変革の重要性を指摘しました。ですが、現在の制度のもとでは、それが決して容易ではない、という深刻な問題があります。 介護の世界で事業をはじめようとすると、土地を買い、事業に必要な基礎設計ができている建物を手にするだけでもハードルが高いのですが、これに、事業運営の経験が5年以上なければならない、という制約が覆いかぶさってきます。 こうした、自由な発想をもった若い人たちが手をあげることすらできない現状は必ず変えるべきです。若い人たちの先進事例から学ぶこと、そして、若い経営者を育て、その経営者どうしが切磋琢磨すること、こうした好循環を生みだすために、公募要件を見直すことこそ、国・行政が真っ先に取り組むべき課題です。 最後に、きわめて難しい問題ではありますが、社会の価値観について触れておきましょう。何度も述べてきたように、私たちの社会には、自己責任を重視する文化がありました。高齢化や少子化、経済の停滞がもたらしたさまざまな問題を、家が、身内が抱えこみ、その苦しみを社会全体で分かちあうことができずにやってきたのです。 伝統的な家族観についてはいろいろな評価があるでしょうし、あってしかるべきです。ですが、これを前提とした社会保障が機能不然におちいっている以上、また、人びとの生きづらさや困りごとが多様化している以上、神奈川の共生社会モデルは、旧来型の家族観をこえたところで構想されなければなりません。 一人ひとりが異なる価値観を持つのは、当たり前のことです。そのような多様な主体が自分自身の将来と、地域全体の将来とを重ねあわせながら、同質性や一体性にとらわれすぎない「共在観(a sense of togetherness)」をもてるよう、私たちは未来を見据えねばなりません。 もちろん、すべての問題を一度に解決してくれる魔法のスイッチはありません。ビジョンを持ちつつも、その時々に必要となる目標を柔軟に掲げながら、あるべき未来に向かいつつ、行きつ戻りつを繰り返す、そんな、20 年後に向けて絶えず変化し続ける福祉こそが私たちに求められるのではないでしょうか。 おおわわりりにに 私たちは「不安から人間を解放すること」を目指して議論を続けてきました。なぜなら、生きていく、暮らしていくための「必要(ニーズ)」から人間が解放されない限り、人びとは、肉体的必要に従属しながら生きてくほかないからです。 残業や長時間労働といった過酷な就労環境になぜ人びとは応じるのでしょうか。それは生きるための必要があるために、雇用主の要求に対して異議申し立てが行えないからです。日本の法制度のもとでは、労働者の残業拒否は、懲戒処分や解雇の理由とみなされます。そして、自己責任の社会では、それは即、労働者の生存の危機と直結してしまいます。だからこそ、生活不安や失
元のページ ../index.html#54