- 69 -に置かれているかのような印象を与えることに改めて気付かされます。そこから脱却するために、私たちの意識をどう変えればいいのでしょうか。 藤田さん:地域福祉の究極的な話になりますが、安心して自分の弱さを出せるかどうか。自分の弱さを認め、伝えられる関係性というものが大事なのですが、今の社会はそうすることが難しいのだと思います。例えば、精神障害を発症した人というのは、実は発症するよりもかなり前から言語化されないSOSを発信しながら何度も死を考え、本人も周りの人もどうしようもなくなってから福祉サービスを受ける、というケースが多いと思います。「助けてと言われたから、助けてあげる」のではなく、声なき本人のメッセージを周囲が受信して心の声に耳を傾ける意識があれば、地域福祉はもっとうまくいくと思います。 福祉も医療の現場でも、疲労困ぱいして休養したり職場を去る人が後を絶ちません。人を元気にするためには支援する側の心も元気でなくてはいけませんから、支援者がSOSを出せて休める環境が整っていることも必要なのだと思います。 あと、私たちは障害のある人たちとともにきちんと働ける環境を地域に築けているかどうか。障害者が地域で働けることを私たちは目指して活動していますが、もし、その私たちが、様々な配慮が必要な彼等彼女等と同じ給料で一緒に働くとなると、おそらく色々な摩擦が起きるでしょう。「~してあげる」から脱却するには、そうした軋轢も乗り越えられるかどうかが問われると思います。 ――「~してあげる」から脱却した市民社会を実現するため、将来の担い手である子どもたちに、どのようにして人権について学んでもらえばいいのでしょうか。 藤田さん:子どもたちへの教育においては、今の世の中では所与のものである人権と尊厳が蔑ろにされてはいけないということ、(例えば理不尽な校則など)それを侵された場合に声を上げられること、それらを当たり前に気付けること。人権教育には、そういったことが小学一年生の子どもたちでさえ腑に落ちていることが必要だと思います。 人権や尊厳を学ぶことは、社会的な倫理観を醸成させることです。「福祉」だけが力を発揮するべきではなく、SDGsが叫ばれる時代ですから環境分野の人たちだって参加してほしい。人間のみならず、物申さぬ命をも包摂する環境といった、もっと大きな視点からも幸福せについて考えることが必要です。
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