かながわ福祉ビジョン2040(創立25周年記念事業)
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- 79 -も悲しみは異なります。そういう体験をした人たちの居場所を私たちが提供しようと。中には一人で亡くなる人もいますが、もし、その人に生前自分らしく生きられる場所があったのならば、それは孤独死ではないのかもしれませんね。 ケアタウン小平チームで活動して下さるボランティアさんは 100 名以上にのぼり、うち2割くらいはご遺族の方たちです。辛い時期を共に過ごしたケアタウン小平チームのスタッフを、今度は応援する側に回ってくれて、それをきっかけに新しい居場所と生きがいを得ていらっしゃるんです。このように、立場を変えた関係性が地域で継続し、循環し、少しずつ増えていくことで、在宅ホスピスケアの取り組みが地域文化として根付いていくのではないかと思っています。 ――ボランティアを担ってくれるのは、単に恩返しという動機だけではないということですね。 山崎さん:ご恩返しというお気持ちもあるでしょうし、それも嬉しいことです。世の中って助け合いで成り立っているわけじゃないですか。「家で最期を迎えたい」という希望を叶えるためにチームで応援し、次の人に受け継がれ、ケアがケアを生み出すと。社会が本来的に目指していくことは、そんな関係性ではないかと思っています。 ――つまり、人と人との関係性の中で起きた活動が新しいケアを生み出す…、そういう連鎖の起きる社会が、ケアタウン小平チームの皆さんが見据える将来の地域の姿なのでしょうか。 山崎さん:それはまさに、福祉が本来的に求めていることと共通していると思います。私たちの活動の原点は、「生命を脅かす病に関連する状況に直面している患者とその家族に対して、身体的、心理社会的、スピリチュアルな問題を早期に見出し、的確に評価し対応することで和らげ、その QOL を向上するアプローチである」という WHO の定義に基づく緩和ケアなのです。病による痛みを和らげ、失われていく機能や死に直面する不安といった患者の思いに耳を傾け、人間として尊重された意識の中で適切に看護、介護を行なっています。それでも、生きる意味を見出せない人は少なからずいるわけで、その辛い思いに応える根本原理は、福祉の原理と同じなのだと思っています。 今は核家族化が進んで少ないと思いますが、三世代で同居している子どもは、日に日に衰弱していく過程にある祖父母の看病を自宅で見ながら、やがて亡くなるというプロセスを知ることができます。その子たちにとって、適切な緩和ケアのもとで大切な人が亡くなるという体験は、特別に怖い出来事ではなくなるでしょうし、やがて大人になって、自分の親の死に直面しても、祖父母を看取った体験が死を穏やかに受け止める助けになるでしょうね。 人の死は自然の摂理です。今は、8割の人が病院で亡くなっており、それは、病院という特別な環境に囲い込まれた「医療の中の死」になるわけです。しかし、自宅での死は、無理な治療や延命措置、不本意な苦痛を伴わず、周囲の見守りと患者本人の納得のもとに馴染みの場所で迎えられるわけです。地域の協力を得ながら自然な死を見届ける体験を積み重ねた子どもたちは、いずれ成長して地域の支え合いに加わっていくでしょう。死を、医療の専門家たちだけで囲い込むのではなく、患者本人と家族を主体に地域で共有すれば地域の文化は変わるかもしれません。ケアタウン小平チームは、病院での死を地域に取り戻すことを応援したいと思っています。

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